明朗バヨ
「明朗バヨ」
懐かしい言葉を聞いた。
「メイロウバヨ」という。
明朗とは私の母方の祖父のことだ。
教師であった祖父は釣り好きでもあった。
彼の釣るハヨは小さいものばかり。
それで小さなハヨのことを「メイロウバヨ」と呼ぶようになったらしい。
ハヨとはオイカワという川魚のことである。
その懐かしい呼び名を聞いたのは何十年ぶりだろう。
この絵を持ち込んだ画材屋さんでの会話からだった。
実は絵が好きだった祖父はこの画材屋さんにお世話になっていたのだ。
「やっぱり血やねえ。」
そんなやり取りの中で「メイロウバヨ」が話題になったのだ。
私に竿と筆を持たせたのはこの祖父である。
子供の頃、母の実家に行くのは楽しみだった。
近所の土岐川で朝から晩まで魚を追いかけていた。
この景色も当時とあまり変わらない。
自分も、あのまんま還暦すぎてしまったなあ。
玉野川調査 第三回
夕方、日が長いので川へ。
一眼レフを持って玉野へ出かけた。
相変わらずの渇水だがそろそろ鮎が登ってるだろうと踏んでいた。
そしてあるある。
食み痕だ。
今回は苦労せずに探せた。
伊勢湾にそそぐ河川は今年は豊作なのを裏付けたかたちだ。
水中でも食み痕は簡単に見つかった。
数も型もまずまずだと想像できた。
こうなるとアユの写真も撮れると期待できた。
川の中を偏光グラスで一生懸命覗く。
こんな奴発見。
雷魚?招かざる客だ。
こいつらも元気だった。
そしてとうとう発見。
夢中で撮ったのにこんな写真しかない。
ならば動画で。
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過去最大の遡上だ。
下流の魚道もなんとか機能していることがわかった。
もう少しだ。
熊に追い越された渓へ。
日曜日。
午前中は用事で出られない。
朝ゆっくりしていると地震だ。
ネットで調べてびっくり。
御嶽山周辺はやばい。
午後から落石の心配のない谷へ。
落石はないが一昨年熊に出会った場所だ。
ついてすぐに余震が来た。
案の定、釣れない。
しかし、少し経つとイワナもアマゴも出てきてくれた。
大きくはないがきれいなアマゴだ。 イワナは地震に敏感かと思ったけど、そうでもないらしい。
最後にやっと良型が釣れた。
といってもチビだけど。
後から見たら眼に朱点があるではないか。
こんな発見も写真を撮るとあるわけだ。
帰り道では笹百合に癒されながら車に戻った。
毛バリのベストシーズンはこれから。 毎週行きたい。
京都の旅 その一
いろんな縁を感じた京都の旅だった。
きっかけは正蓮寺さんのおはからいであった。
初めて西本願寺に参拝させていただくことができた。
お寺と門徒さんのいい関係を垣間見ることができた。
小太膳と本願寺の関係にも思いを馳せながらお参りした。
この日は長年にわたり小太膳を追いかけていた岩利のMさんのお骨も納骨された。
これも縁である。
ここで正蓮寺の皆さんとお別れして次の目的地へ向かった。
ここは妙心寺の隣華院。
姫路の御当主A氏が案内してくださった。
小太膳は本能寺の変の後、紆余曲折を経て脇坂家に仕え晩年を京都で迎えたそうだ。
その墓は現在は龍野藩の家臣団の墓に合祀されている。
やっとたどり着いたという感慨が湧いてきた。
曾祖父から追いかけてきた一族の歴史の一区切り。